嫌い

英語を話す国に生まれて育った子供なら誰でも知っている歌がある。 Nobody likes me, everybody hates me, Guess I’ll go eat worms. Long, thin, slimy ones; Short, fat, juicy ones, Itsy, bitsy, fuzzy wuzzy worms. Down goes the fir…

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ドナルド・トランプの世界

ガメ・オベールの日本語練習帳_大庭亀夫の休日ver.5

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ニューヨークに住んでいて、いかにもパチモンなマンハッタンのハイソサイエティと交流がある人ならば、ドナルド・トランプの名前を聞いて思い浮かべる断片がたくさんあるだろう。
もっとも、そういうパーティのなかでもドナルド・トランプが姿をみせるパーティは、なぜか白い人ばかりのパーティで、おおきなコミュニティのパーティ、例えばプラザホテルのロシアンコミュニティのそれですら、記憶をたどっても、ひとりのアフリカンアメリカン、アジア系人の姿も、記憶のベールの向こうにあるプラザホテルの会場に見つけることはできない。

入り口を入ると、右側に小さな小さな老女たちが立っていて、強制的に握手をすることが求められる。
このひとたちは誰であるかというとロマノフの最後の王女たちということになっていて、なっていて、と言った途端に「そんなことが現実なわけはない!」と怒り出すひとの顔が目に見えるようだが、アメリカの「ハイソサエティ」のリアリティの感覚は、そういうもので、日本で言えば万世一系皇統伝説のようなもので、皆が本当でないと知っているが真実なのではあって、人間の都合は、神様では理解できないほど複雑である、ということなのでもある。

ともあれ、ふたりのなるほど上品に見えなくもない王女たちと握手して、手の甲にキスじゃなくてもいいのか、簡便であるなとおもいながらホールをちょっと進むと、カーネルサンダースがトウモロコシの毛を頭から生やしているような趣のおっちゃんが立っていて、あれ、誰?と聞くと、ああ、あれがドナルド・トランプですよ、ほら、トランプタワーの、破産が趣味の男、とフランス人のおばちゃんが述べて、くっくっと可笑しそうに笑っている。

テーブルにつくと、身なりのいいフランス人のカップルとロシア人のカップルと、若い、聡明な瞳をしたロシア人の若い女の人が同席で、なかなか楽しいテーブルだった。
「あなたはニューヨークに住んでいるの?」と聞くので、いや、ぼくはまだ大学生で、大西洋を越えてやってきたんです。
両親の名代というか、偵察隊というか、と述べると、若いわしよりも遙かに賢そうな女の人は、目を輝かせて、
「わたしと同じだわ!」という。
聞いてみると、毎週木曜日にニューヨークを経ってモスクワに帰って、日曜日の夜に戻ってくるスケジュールが続いているのだという。
十数年前の話なので、わしがいくらのんびりでも、この人がロシアマフィアボスの娘であることは想像がついて、まあ、ゴッドファーザーみたいだわ、となんとなく浮き浮きしてしまう。
一瞬、どうしてマフィアボスの娘というのは美しい人が多いのだろう、と考える。

ダンスフロアに誘うと、思いの外、緊張していて、「わたし、あんまりダンスパーティに誘ってもらえないのと」と寂しそうに述べていた。
あまつさえ、ぶっくらこいたことには、心がこもった調子で「ほんとうに、ありがとう」と言う。
ダンスに手をとって誘って、相手の女の人に「お礼」を述べられたのは、前世のハプスブルク朝のワルツ夜会が最後ではなかろーか。

こちらも、たいそう美しい人である50代くらいの女の人は、やはり話が面白い愉快な人で、旅行の話をしていたら、わたしは若いときにはベトナムにいたことがあるの、という。
それは良いが、中東にいたことがあって、アフガニスタンにいたこともあるので、だんだん聞いていて、いつもの悪い癖が出て、ふざけて、「まるでKGBのスパイみたいですね」と茶化すと、
隣に座っていたロシア版杉良太郎みたいなおっちゃんが「ああ、この人はKGBの幹部だったんですよ」というので、椅子からずるこけそうになってしまった。

それがいまはしがない国連職員なのだから、嫌になる、と呟いているおばちゃんに聞いてみると、ゴルバチョフのあと、アメリカにやってきたそうで、モスクワ大学を首席で卒業したというので、あんまりオベンキョーの話はしないほうが身のためである、と酔った頭で素早く計算したりしていた。

演壇にはいつのまにか、ドナルド・トランプが立っていて、大統領みたいというか、ハリウッドの大根役者が演じそうなチャライ大統領みたいなことを述べている。
あとで、おやじパリス・ヒルトンと命名することにしたが、パリス・ヒルトンとそっくりな性格で、自分のことしか興味がなくて、
パリス・ヒルトンが、あるときストレッチリムジンを降りて、途端に
「あら、あたしの3万ドルの指輪が、いま側溝に落ちてしまった!!」と叫んで、大騒ぎになって、みなで慰めて、たいへんなパーティの始まりになってしまったのは有名だが、そのときの指輪が実は40ドルのものだったことが使用人の証言でばれて、トランプという人も似たようなことをする人だった。
注目を集めるためなら、なんでもする種族は、おなじ種類のパーティに集まってくるが、このふたりが姿をあらわすパーティは重なりはしないが、おなじ匂いがある。

多文化社会の興味から言えば、トランプという人をひと言でいえば
「黒人テナントを拒否してthe Justice Departmentから訴追された不動産会社の持ち主」で、実際、この人の人種観は奇妙なくらい北欧系ロシア人たちに似ていて、自明であると言いたげな白人優越主義で、アジア系人やアフリカ系人は、差別しているというよりも人間として眼中になくて、まったく興味をもっていない。
ジョージ・W・ブッシュの母親であるバーバラ・ブッシュに代表される南部エスタブリッシュメントとも、異なって、decencyになどはかけらも興味をもっておらず、まっしろな花嫁をもらって、幸福に新婚時代を過ごして、ある日、子供が出来てみたら、アフリカ系人の特徴をもっていたということを最大の悪夢と考えるような人たちで、日本語人が、日本語の世界とは感性的に最も遠い、彼らがどういう世界に住んでいるかを理解するためには、ウイリアム・フォークナーの物語群、取り分け「アブサロム、アブサロム!」を読むのがいちばん良いような気がする。

ヘンリー・サトペンにとっては近親相姦よりも、遠い祖先に一滴でもアフリカ系人の血が混ざっていることのほうが遙かに罪深いことであって、サトペンの最期の生き残りは重度知的障害者のジムだけになる宿命にある。

トランプがバラク・オバマの出生証明がニセモノであると決めつけたことは、だから、発想そのものが自分達を「正統なアメリカ人」と考える支持者たちの好尚に訴えていた。

気休めにもならないというか、ドナルド・トランプが選挙戦術として、数々の呆気にとられるような、他人種への侮辱的な発言を繰り返したのだと主張する人々がたくさん現れているが、本人と話したことがあったり、日頃の言動を知っている人にとっては、一連の発言こそがトランプの本質で、ミシシッピあたりの田舎に行けば、たっぷり堪能できる、その背景になっている白人至上主義文化を日本語で日本にいて理解したければ、繰り返すと、ひと夏フォークナーを読み耽るのがよいと思われる。

共和党では、すでに内部対立が深刻になりはじめて、もとから顕在化している伝統的な共和党勢力と新興のティーパーティ由来の共和党勢力との対立に加えて、ティーパーティ派内部での対立が外部に漏れ聞こえてくるようになってきた。
面白いのは、マイク・ペンスが、大統領になる野望を持ち始めたらしいことで、
ニューヨークのロシア・フランス系コミュニティと極めて近いドナルド・トランプと異なって、ペンスは有名なロシア人嫌いで、トランプとは、そういうことを軸に感情的対立が始まっているようでもある。

マケインとペンスも意外や情緒的に比較的に近くて、トランプは取りあえずは共和党保守派の顔色をうかがって温和しくせざるをえないだろうが、なにしろ飽きっぽい人で、大統領の椅子を獲るまでは夢中になって暮らせても、いざ椅子に座ってしまうと、めんどくさくなるのではなかろーか。

なににしろ、アフリカ系中東系、アジア系で言えば、なぜかそれほど嫌でないらしいインド系をやや別にすれば、中国系韓国系日系のアメリカ人にとっては、地獄の門が開いたに等しくて、ツイッタやなんかで何度か述べた、フレンズあたりから始まって、Pan Amが企画され、Mad Menがバカ受けして、Downton Abbeyまでがアメリカで人気出るに及んで、世の中の「空気の変化」を察知した英国俳優組合やアメリカのアフリカ系俳優たち、プロデューサーたちまでが「ドラマ・映画のホワイト化」に対して強い警告を述べたのが、ついにフォークナー的なアメリカ社会の呪いを呼びさましてしまった。

4年間は最低でも続くことが保証された悪夢が、まだ正式には始まってもいないことを考えると、なんだか気が遠くなるような気がしてきます。

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いまのは、もうちょっと、いまいちだったなあー。 ガメ、コーヒー淹れてあげるから、もういっかいやらない? ね?ね? いいでしょう? 疲れないようにしてあげるから。 そこじゃない。 へっただなあー。ちがうちがう! そんなに荒っぽくしたら痛いでしょう! おもいっきり、お尻をつねられたこともある。 十代で身につけるべき、料理や掃除、洗濯の仕方、数学、スポーツ、外国語ちゅうような、「やらなくたって別に…

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クラウンストリートで — ガメ・オベールの日本語練習帳v_大庭亀夫の休日

「この頃、ジーンズの人が少ないね」 「ジーンズ、おっちゃんばっかだのい」 モニさんとわしはクラウンストリートのカフェに座って通りを行き交う人を眺めている。 クラウンストリート、と言っても、ニュージーランドや連合王国、オーストラリアはクラウンストリートやチャーチロード、ビクトリアストリートだらけなので、町の名を述べなければどこにいるか判らなくて、モニとわしはシドニーのクラウンストリートにいたのでした。 モニは、もともとジーンズをあんまり穿かない人で、知り合ってからずっとサイズと体型が変わらない便利を利して、ときどき昔から持っているジーンズを穿いて庭で遊ぶくらいだが、主に半ズボンでも、冬は穴あきジーンズばっかしのわしとしては、最新型わしについて考究しなければならなくなってしまった。 生まれてからずっと、労働するということに縁がなくてプーなので、Tシャツ+ショーツかタキシードという選択で、まんなかのスーツは、一応は持っているが2回くらいしか着用に及んだことがない。 ジャケットはいっぱいあるが、スーツは、なんだか嫌だなあーと考える。 理由は考えてみたことがない。 クラウンストリートは、よい通りで、通りのサリーヒルズ側には良いカフェやレストランがたくさんある。 シドニーは人間が多すぎてくたびれるが、モニの希望にそって南半球に生活の本拠をおいたままで暮らすとすると、将来を考えれば、シドニーにも生活拠点を持たないわけにはいかない。 チョー重い「御神輿」をあげて、昔はあれほど毛嫌いしていたシドニーにやってくることにした。 やってくることにした、と言っても、やっぱりモダンギャラリーの特別展示で長蛇の行列が出来るようなシドニーに住むとくたびれるので、まずアパートを買って、ときどき飛来して、ああぶちくたびれた家に帰るべ、になってオークランドに戻って、それを2ヶ月に1回から1ヶ月に1回、フォートナイトリー、一週間に一回、 一年の半分、というふうにライフスタイルを変えていこう、という計画を立てた。 欧州にもどって暫く暮らす、という、もっとも安楽な生活の夢はBrexitの顛末が象徴する生活という面での欧州の大スランプ時代の始まりで、以前から南半球とアメリカ西海岸の生活圏を主張するモニさんの議論の完勝が証明されて、またしてもわし不明が証明された形になってしまった。 モニは、どうして、あれほど明然と未来が視えるのだろう。 日本人で言えば、昨日死んだ大橋巨泉というひとは生活の設計が上手な人で、税金対策をかねていたのでしょう、OKギフトショップという日本人観光客を対象にしたお土産店をあちこちにつくって、たしかカナダとオーストラリアとニュージーランドの永住権を持っていたはずである。 オークランドの、多分、セントヘリオスという、日本でいえば葉山だろうか、海辺の町に家を買って、北半球の冬にやってきて、過ごしていたようでした。 英語圏に家作がたくさんあったようで、なにしろ、人気タレントとして家作を買い漁ったあとで英語圏は全体が巨大なバブル経済に入っていったので、さぞかし含み資産がおおきくなったのではないか。 義理叔父から話を聞いて、へえ、(アラブ人と並んで投資がドヘタなので有名な)日本の人にも、投資が上手な人がいるのだなあ、と考えたのをおぼえている。 生活するのが余程上手な人であったに違いない。 オーストラリアは今年で26年目になる猛烈な土地バブルの最中で、バブルはどうせいつかは破裂するのだから、いま不動産を買うのは投資効率として最低だが、個人の生活と経済景気の循環の関係は、いつもそういうもので、人間のほうは容赦なく歳をとって、20歳でやりたいこと、30歳でやりたいこと、40歳でやりたいこと、と標識が立っていて、クルマでオープンロードを走って「あちゃ行きすぎちゃったかっら引き返さねば」というのとは違って、いちど過ぎた年齢に戻れない不便さなので、適宜、無駄金を投下しないと、おもったように生きられない。 怠けてばかりいるわりには、わし財産は増え続けて、なんというか、色々な点でニュージーランドに本拠をおいておくのは無理が多くなってしまった。 せめてオーストラリアに本拠の国を変えないと、不自由である、と感じることが増えた。 もともとクライストチャーチと対にしてオペラやスタンダップコメディ、ギリシャやイタリア料理というような用事に滞在していたのはメルボルンで、ここにはかーちゃんととーちゃんの投資をマネッコして買った家もあるが、去年いちど出かけたらバブル症状がひどくなって、客達が聞こえよがしに自分のワイン知識を披露して、1本3万ドルのワインを、そのワインにはどうしても必要なデカンティングもなしで飲むバカぶりで、終いにはチップを要求されたので、どうももうこの町も嫌だな、と考えていかなくなってしまった。 高級イタリアンレストランなどはマンハッタンのそれと似てきて、「ドアのこっちはイタリアだよー。シェフもイタリア、ウエイターもイタリア、イタリー、イタリー」と連呼しているようなレストランのスタイルなのに、全体がディズニーランドみたいな「イタリア」で、欧州と聞けばなんにでも過剰にオカネを払う、英語人たちの田舎者ぶりにつけこんでいるに過ぎない。 もうこうなったら仕方がないと、わし友ルーク @soloenglishjp などが述べていたことも参考にして、大嫌いなシドニーに出かけてみると、メルボルンに較べて、ずっと都会になっていて、むかしは大坂と京都みたいな関係だったのが、メルボルンがちょっと田舎染みてみえるほど、都会に成長している。 気取った、見栄を張りたがる人間が少なくて、全体にアジア的な町で、活気がある。 特に、Sergei Prokofievのオペラ、The Love for Three Orangesの上演は、駄作だと判っているオペラをわざと取り上げて、演出と歌手たちの腕前で、返って滅茶苦茶面白いオペラを作ろうという、マンハッタンでもなかなか見られない都会的な試みで、しかも、うまくいっていた。 なんだか驚いてしまった。 演目が演目なので、観衆もオペラ漬けの人間が多くて、観客席側もよい雰囲気で、いつも観光客が多すぎるマンハッタンのリンカーンセンターよりも遙かに良質な「オペラ空間」になっていて、わしは「シドニーちゃん、ずっと嫌っててごみん」と考えたりした。 フランス料理屋にいったらポークのパテがちょー旨かったとか、どういう理由によるのか、オークランドよりもワインの質が高かったとか、相も変わらぬいやしんぼの理由もあって、案外シドニーに馴染むの速いかも、といまは考える。 盛り場のサイズが拡張して、盛り場と盛り場のはしっこが連絡されて、むかしはシドニーの特徴だった、盛り場と盛り場のあいだの犯罪多発ポケットがなくなっていたことも新しい発見で、もともと「歩く町」だったメルボルンに負けないほど歩けるようにもなっていた。 ここまで読んで、「なんだ、あんたのシドニーて都心だけじゃん」と思った人がいるだろうが、Balmainの一軒屋に住むと、要するに生活はRemueraと同じで、広い庭でころころして、uberならuberで例えばオペラを観に行くことになるが、それではオークランドに住むのと同じことで、同じ生活をするのなら、ずっと人が少なくて、行列というものが存在しない上に、CBDのどこにでも10分以内に着くRemueraの暮らしのほうが楽ちんな点ですぐれている。 経済生活を離れて個人の、いわば享楽の生活について考えると、アパートを出て、隣においしいフランス料理屋があって、そこからぶらぶらと歩いて、クールなカフェやバーがある、やりたければモニとふたりでバークロールをする、というような生活とRemueraみたい生活の両方を楽しみたいわけで、そう考えてゆくと、わざわざ高いオカネを払って同種の2つの生活を手に入れるのは、バブルで40%以上実質価値よりも払わねばならないド腐れ不動産市場であるオーストラリアやニュージーランドでは愚かなオカネの使い方になってしまう。 つまりはロンドンやマンハッタンが候補であったタイプの生活がシドニーで出来るようになったのを発見して嬉しかった、と言い直してもよい。 オペラとモダンダンスの質はもともと高いシドニーだが、ジャズもバレーもクラシックのコンサートも質があがって、いちどバブルが続いて世界中からオカネが流れ込むと都会はこれほど生活の質が向上するのか、と眼を瞠る感じがする。 この地上に、またひとつ、新しい「都会」が生まれている。 考えてみれば南半球では初めての「都会」で、というとブエノスアイレスはどーなるんだ、サンパウロは、リオデジャネイロは、という人がいるはずだが、なにしろ行ったことがなくて、「行くのどうおもう?」というと笑われて「ガメのスペイン語じゃ、まだやめたほうがいいんじゃない?」とスペイン人たちに笑われる始末で、ポルトガル語はなおさら判らなくて、なんとなく昔は都会だったところと、これから都会になるところというか、偏見が頭から去らなくて、どうしても視界から外れてしまう。 英語人のビョーキかもしれないとおもうが、わしはむかしの東京は都会だったと感じていて、言語は必ずしも都会の要件だと意識されていないようなので、ほんとうの理由は、やはりただの無知なのかもしれない。 ともかく、では精確を期して述べると南半球に出来た英語圏のゆいいつの都会で、シドニーがここまで都会に急速に成長したことには、英語人が南半球のオーストラリアとニュージーランドという「英語飛び地」に移動しはじめた、という背景があるように感じられる。 その円滑剤になっているのが中国に堆積されて、いまやたいへんな勢いでオーストラリアとニュージーランドになだれこんでいるアメリカドルで、アメリカドルが敷きつめられたヘルタースケルターを英語人たちがどんどん滑り降りてくる。 欧州や北米人はそこまでバカでないので口にはしないが、やはり北半球の渾沌というおおきな理由があるようです。 口にはしないが、と書いたが、それは欧州や北米での話で、オーストラレージアに着いてしまうと、口がつい軽くなって、「この地域の最も良い点は争乱や社会の混乱から物理的に距離が遠いことだよ」と言う。 Brexitに乗じたアホ連合王国人の「有色人も東欧人もまとめて出てけ」の人種差別騒ぎや、おおよそ半数のアメリカ人は立派にバカでレーシストであることを世界にあまねく知らしめたドナルドトランプ旋風が共通語である英語を伝わって、じくじくと伝染してしまうだろうか、と観察していたが、いまのところは逆の効果で、他人がやっていると人種差別やゼノフォビアが、どれほどアホっぽく見えるかに気が付いて、返って、もともとはレーシストの素質十分なカナダ人、オーストラリア人、ニュージーランド人は、しゃんとしてしまって、多文化社会を堅持しようと決心したように見える。 むかしロンドン人が見た夢がシドニーで実現しているようなもので、なんだかアホらしいというか、連合王国人はどうしていつも自分で発明したことを、途中で他人に譲って、自分たちの手のなかではダメにしてばかりいるのか、とタメイキがでる。 なんのことを述べているのか判りにくい人は、ゴルフ、テニス、ラグビーを発明した連合王国人が、これらのスポーツでいかに長い不振を極めたかの顛末を考えてみると良いのではなかろーか。 「ガメとわたしの将来はどんなふうになっていくだろう」 二杯目のピノノワールを、ストリッパーふうのハンサムなにーちゃんが持ってきたところで、モニが述べているが、それは不安をこめた調子ではなくて、面白かった第1幕の休憩時間ちゅうに第2幕への期待をこめて新作舞台について述べている人の調子です。 「もちろん、もっと楽しいのさ」と、わしは答えないわけにはいかない。 […]

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Diary1

ガメ・オベールの日本語練習帳_大庭亀夫の休日ver.5

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内緒の話をしよう。
あなたはモニさんが現れるまでの、わしの最大の(てゆーのはヘンだけど)ガールフレンドで、あなたがわしと結婚することに真剣であったのとおなじくらい、わしもあなたと結婚することを真剣に考えた。
あなたは、ぼくの真剣さを信じなかったろうけれど。

あの頃、ぼくは、簡単に言えばロクデナシで、ラスベガスで完膚ないまでにすって、赤い砂漠の岩の上に寝転がって、もうどうとでもなれと思ったり、メキシコの、プラヤデルカルメンへの国道で、一文無しで行き倒れて、大西洋を越えてやってきた妹に救われたりしていた。

でもあなたはオカネモチの娘に独特な純良さで、わしの魂を救おうとしてくれた。
おぼえていますか?
ロンドンの、あなたが必要ですらないパートタイムの店員をやっていた美術骨董時計店で、時計を掃除する手を休めて、
「ガメ! あなたに会えるとは、なんと素晴らしいことでしょう!
ずっとニューヨークに行ってらしたのでしょう。
『新世界』はどうでしたか?」と述べたときのことを

懐かしい声。
懐かしいアクセント。
あなたは、わし世界のひとなのだった。

セブンダイアルズを歩いて、チーズ屋でチーズを買って、ミドルイースタンカフェで、コーヒーを飲んだ。
あなたとぼくのアクセントを聞いて振り返るひとたち。
ジュラシックパークの恐竜に出会ったとでも言うような。

ぼくはあなたに飽きていたのではなくて、自分が生きてきた世界に飽きていたのだと思います。

なんだか、泣きたくなってしまう。

小さなベンチに腰掛けてSalif Seydouの写真を何枚も見た。
あなたのやさしい唇にふれて、これは、なんというやさしい時間だろうと述べた。
あなたは19世紀的な女びとであって、「ガメ、あなたはきっと、わたしと結婚するのでしょうね?」と述べた。

柔らかなシルクのサマードレス。
暖かな太腿。
無防備な太陽。

金色の産毛が輝いている、アールヌーボーのライトのなかで、あなたの腕が伸びていて、ぼくはぼくの社会のおとなが振る舞うべく振る舞っている。

でも、ぼくは女神に似たあなたの呼ぶ声に答えなかった。
ぼくは出て行った。
世界の外へ。

ブライトンのパーティで会ったでしょう?
あなたは病院が八つとふたつのホテルチェーンの持ち主で、ホステスの席で、艶然と微笑んでいて、ぼくの名が紹介されると、少しだけ顔が強ばった。
あなたは、ベッドの暗闇のなかで、ぼくがどうしてそんなことをするのかと怒ったことを思い出していたのに違いない。
男と女ということになると、人間は、どこまでも生物的なのであると思います。

人前で、涙を見せたりするのは、わしらの習慣ではない。
激しい感情を見せるのは、明らかにわしらの習慣から外れている。
でもね。
モニもきっとわかってくれるに違いない。
あなたは、いまでも、わしの真の友なのである

日本に行くのだ、と述べたら、あなただけが「あら、ガメは世界の外に行くのね」と杉の木の扇の軽さで述べた。
あなたは、いつも、ぼくのことを知りすぎていて、どうしてぼくが日本語や日本に執着しているのかさえ精確に知っていた。
「ガメは、この世界でないところならどこへでも行くのよ」と歌うように述べた。

ガメは自分でいることに耐えられないのよ。
あの子のタイトルを見てごらん。
あの子が、自分のタイトルを呼ばれるたびに、とびあがるみたいにする様子を見てご覧。

あなたは、わしの女神のように振る舞った。
あなたもぼくも、恐竜的な世界に住んでいて、
そこでは「時」は止まっていて、
性や虚栄が澱んでいて、テーブルライトに照らされた金色の産毛が輝いていて、
われわれの魂を現代から引き離していた。

この世界でないところならどこへでも行くのよ、というが、
この世界、とはなにか。
きみとぼくとは、どんな文明に生きていたのか。
その文明は1915年には死んだ文明ではないのか。

I was in pain.

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そうして、ぼくは、「新世界」の通りをほっつき歩いていて、まるで捨て犬を拾うように、やさしい腕をのべて、抱きしめて、助けてくれたモニさんと結婚することになったが、それは愚かな人間への世界からの不意な救済だった。
どちらかというと宝くじにあたったような突然の救済であって、順々としたプロセスも納得できる必然性も、なにもなくて、マリア様の奇跡に似た、唐突の解決だった。

こんなこと、日本語で書いても意味がないのか。
でも、わし友を考えると、日本語で書いておくことに意味があるのです。
なんで?
と言われても判らないけど。
ぼくの、思い込みに過ぎないのかも知れないのだけど

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Rising Sun

コーデル・ハルのノートを眺めていると、戦争に至る人物群のなかで、ひと際、日本人全体への嫌悪に満ちていたのが判る。 この「国連の父」という祝辞のなかで死んだ人がグルーの報告や来栖・東郷の述べる事をまったく信用しなかったことは日本の真珠湾攻撃に直截むすびついた。 ハルの念頭にある日本人は「嘘つきで攻撃性が強い倫理がゼロの民族」で、その日本人全体への印象は終戦後も変わらなかったが、見ていて印象に残…

Source: Rising Sun

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川へ飛び込む

1 新竹へは一度行ったことがある。 子供のときのことで、ぼんやりとしか憶えていないけどね。 両親と、コンピュータ会社の役員をしているドイツ人のおっちゃんと一緒にデスクトップPCのケースを作っている会社を訪問していったのだと思う。 「台湾のシリコンバレーなのです」と誰かが述べたのをおぼえている。 案内してくれた台湾の人の運転が荒っぽくて、怖い思いをした。 もう、そのくらいしか憶えていない。 同…

Source: 川へ飛び込む

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